ピーコさんの訃報に寄せられた思い出や秘話、彼が大阪で仕事をしていた理由について語られた内容を紹介。
要約するとファッション評論家であり、双子タレント「おすぎとピーコ」の一員として知られるピーコ(本名・杉浦克昭)さんの訃報が広がり、関西でも多くの人々が悲しみに暮れています。
21日放送のMBSラジオ『松井愛のすこ~し愛して▽』では、ピーコさんと親しい関係にあった桂南光が彼の思い出を語りました。
南光は、ピーコさんとの交流が始まったのは「桂べかこ」時代で、彼の家族とも親しく、子どもたちが小学校に通っていた頃から一緒に食事をする仲だったと振り返りました。
彼が亡くなったことを知ったのは、20日の朝で、ピーコさんの元マネージャーからの連絡を受けたといいます。
番組では、ピーコさんが大阪で仕事をしていた理由についての驚きの秘話も明かされました。
実は、ピーコさんが大阪に通っていたのは、彼が好きな人が大阪に住んでいたからだというのです。
南光は、その人と一緒に食事をするために大阪に行っていたことを、芸能リポーターも知らなかった秘話として紹介しました。
さらに、南光はピーコさんが青山のブティックでコーディネートをしてもらったエピソードを披露し、当時の有名人との交流も語りました。
ピーコさんは1945年に神奈川県で生まれ、ファッション評論家としてだけでなく、2004年にはシャンソン歌手としてもデビューし、双子の弟のおすぎと共に多くのテレビ番組で活躍しました。
関西でも多くのファンを持ち、1980年代にはKBS京都の深夜ラジオのパーソナリティーを務めるなど、幅広い活動をしていました。
彼の死は、彼に関わった人々にとって大きな損失です。
参考リンクhttps://news.yahoo.co.jp/articles/c35664d6290ccc256f48288e8fdf5470da9e8056