昭和南海地震から78年、被災状況を記録した「三災記」が発見され、防災活動に活用される予定です。
要約すると高知県で約700人が犠牲となった昭和南海地震から78年が経過した。
2024年7月に、高知市の初代教育長・伊藤盛兄が自らの体験を記した「三災記」という資料が発見された。
この資料は、1946年12月21日午前4時過ぎに発生した地震の詳細な被災状況を記録しており、当時の様子を生々しく伝えている。
地震のマグニチュードは8.0であり、高知県沿岸には4mから6mの津波が押し寄せた。
伊藤さんは、地震の揺れを「ヅーという特有な地響き」と表現し、家屋の倒壊や物の破損、浸水の様子を詳細に記述している。
特に、彼は「只事ならぬ情景に一変してしまった」と述べ、当時の恐怖を伝えている。
手記の中には、未来の震災に備えるための9つの警告が含まれており、その中には「地震後に弁当を用意してから避難するという言い伝えを過信したために、逃げ遅れて溺死した人が多かった」との警告がある。
このような貴重な資料は、防災活動に活かされることが期待されており、2025年3月から展示が予定されている。
地震の記憶を風化させず、次世代に伝える重要な役割を果たすことが求められている。
参考リンクhttps://news.yahoo.co.jp/articles/65c3267c2f7f025436468ad057e75f8d52657340