日本文化の形成における「官の儒学」と「民の仏教」の役割を解説。古代からの学びの変遷を追い、現代における文化の理解を深める内容です。
著者は、昨年逝去した知の巨人・松岡正剛氏の著書『日本文化の核心』からの抜粋を通じて、日本の「学び」がどのように発展してきたのかを解説しています。
古代日本では、読み書きの基盤が中国からの漢字と仮名文字の学習にあり、特に貴族や僧侶、儒者たちが中心となってリテラシーを育んできました。
律令時代には、大学寮や国学と呼ばれる教育機関が設立され、儒学を基にした多様な科目が教えられました。
明経道や明法道などのカリキュラムは、中国の経学に基づいており、日本の学びは中国文化に大きく影響されていました。
一方で、仏教寺院も教育の場として機能し、奈良時代には南都六宗の大寺が大学的な役割を果たしていました。
仏教の学びは、経典を通じて知識を得ることが中心で、最澄や空海の登場により密教が広がるとともに、教育の形態も変わっていきました。
特に空海が設立した綜芸種智院では、統合教育が目指され、仏教の教えを学ぶ学生が増えました。
しかし、官の学校が儒学的な要素を持つ一方、民の学校は仏教の各派に分かれていき、延暦寺が権威を持つようになると、独自の学びを求める学生が出現しました。
源信や法然、親鸞といった学僧たちは、新たな教えを開眼し、仏教の学びに新風を吹き込みました。
こうした流れの中で、日本の学びは宗派の教義に影響され、次第に儒学的なものが主流となっていく様子が描かれています。
この記事は、日本文化の深い理解を促し、現代における「学び」の意義を再考させる内容となっています。
参考リンクhttps://news.yahoo.co.jp/articles/e341110a6dd6580de5492f188b2cc05b97b1a03d