坂本龍馬と中岡慎太郎の暗殺事件を描いた『維新暗殺秘録』が、当時の証言を基に詳細を明らかにする。二人の悲劇的な最期が浮き彫りに。
この書籍は、幕末維新期に起きた30件の暗殺事件を取り上げ、当時の関係者の証言をもとにその経緯や人物像を描写している。
著者の平尾道雄は、幕末維新史の第一人者として多くの研究を行い、龍馬に関する貴重な資料を残している。
近江屋事件は1867年11月15日に発生し、坂本龍馬が醬油商の近江屋にかくまわれている際、陸援隊の中岡慎太郎が訪れたところに刺客が襲いかかるという衝撃的な展開を見せた。
現場に居合わせた土佐藩士・谷干城の証言によると、中岡は刺客に襲われ、重傷を負った後、坂本が倒れているのを見つけたという。
坂本は「石川、刀はないか」と叫びながら絶命した。
事件の目撃者である当時17歳の峰吉は、龍馬の身の回りの世話をしていた元力士の藤吉のうなり声を聞き、異変を察知した。
彼が近江屋に駆けつけると、坂本は倒れており、中岡の姿が見えないことに気づく。
中岡は、両足をひどく斬られた状態で、近隣の屋根の上にいたが、助けを呼ぶことができなかった。
『維新暗殺秘録』は、幕末のテロ事件の生々しい記録を通じて、当時の社会情勢や人々の苦悩を浮き彫りにしている。
歴史の中で語られることの少ない中岡慎太郎の最期の瞬間や、彼が欲した食べ物の詳細も明かされており、読者に深い感慨を与える内容となっている。
参考リンクhttps://news.yahoo.co.jp/articles/9f0c56ba41add3ef8e61b08741864b8b4cc25983
坂本龍馬と中岡慎太郎の暗殺事件についてのコメントは、事件の詳細や背景に関する多様な見解が寄せられていました。
多くのコメントでは、彼らを斬ったのが見廻組の剣客たちであり、特に佐々木只三郎や今井信郎などの名前が挙げられ、彼らの武士としての力量やその後の生き様についても触れられていました。
また、近藤勇が坂本と中岡の死に関与しているという誤解があったことや、彼が官軍に投降した際の態度についての意見もありました。
近藤の助命を主張した薩摩の将校たちが、土佐将兵の激昂に対してどう対応したかというエピソードもあり、当時の人々の感情が伝わってきました。
さらに、暗殺の際の状況や、用心棒の存在、逃亡経路の確保など、緻密な警戒が敷かれていたことも強調されていました。
中岡の言葉に関する推測や、幕末の文化についての軽妙なコメントもあり、歴史的な事件に対する関心の高さが伺えました。
全体として、坂本龍馬と中岡慎太郎の悲劇的な最期を巡るコメントは、歴史を深く考察する材料となり、読者の興味を引くものでした。
ネットコメントを一部抜粋
龍馬と中岡を斬ったのは佐々木只三郎、今井信郎、桂早之助など手練の見廻組。
坂本・中岡の件に関しては、近藤勇は全くの濡れ義務だったんだけどね。
逃亡経路も確保されてもいた。
更に目の前には土佐藩邸もある。
中岡慎太郎の「コナクソ」の松山訛りが聞こえた証言で、疑いが掛かり新撰組の襲撃説が出てました。
タイムトラベル出来るなら、本能寺の変と近江屋事件を見てみたい。