フリーアナウンサー小倉智昭さんが77歳で逝去。膀胱がんとの闘病を経て、最後の言葉には弱音も。彼の影響力あるキャリアと人柄が偲ばれる。
彼は’16年に膀胱がんを公表し、’18年には膀胱全摘出手術を受けましたが、その後もがんと闘い続けました。
亡くなる2日前には、フジテレビの『とくダネ!』のサブキャスターである笠井信輔さんと電話で話し、医師から「頑張らなくていい」と告げられた際に「もう諦めたんだよね」と語ったそうです。
小倉さんは1947年に秋田県で生まれ、吃音症を克服するためにアナウンサーを目指しました。
彼のキャリアは’70年に東京12チャンネルに入社し、競馬実況アナウンサーとしてスタートしました。
その後、フリーアナウンサーとして活動を広げ、『タミヤRCグランプリ』や『世界まるごとHOWマッチ』などで注目を集めました。
特に’99年からの『とくダネ!』では、MCとしての存在感を発揮し、毎回のフリートークが名物コーナーとなりました。
彼のコメントは時に辛辣で、炎上を招くこともありましたが、それが彼の魅力でもありました。
また、スタッフに対しては優しく、気配りがあったため、愛されていた一面もあります。
音楽を愛し、ジャズクラブ『ブルーノート東京』で多くのファンに親しまれた小倉さんは、病気と闘いながらも、最後までその姿勢を貫きました。
彼は妻と愛犬に見守られながら旅立ちました。
小倉さんの人生は多くの人に影響を与え、彼の存在は永遠に記憶されるでしょう。
ご冥福をお祈りします。
参考リンクhttps://news.yahoo.co.jp/articles/10ba473db72e1ca1822bb3b3d2f3d10301079fa3
小倉智昭さんの追悼に寄せられたコメントには、彼の人生や仕事に対する感謝の声が多くありました。
特に『とくダネ』での彼の姿勢や、視聴者に向けたメッセージが評価されていました。
また、75歳を超えた余生についての意見や、がんと向き合うことの重要性についての考えも見られました。
病気に対する心構えや、亡くなることについての哲学的な見解も多く、苦しみを抱えることなく人生を全うすることの難しさについても触れられていました。
小倉さんの司会者としての役割や影響力が、他の番組やスタッフに及ぼした影響についても言及されており、彼がいかに多くの人々に愛されていたかを感じさせるコメントが多数ありました。
最後に、彼に対する感謝やお悔やみの言葉が多く寄せられており、彼の存在がテレビ界において非常に大きなものであったことが伝わってきました。
ネットコメントを一部抜粋
お金がある人は治療が受けられます。
最終回では視聴者にだけでなく、出演者や若いスタッフ、裏方さんに対してのメッセージが素晴らしかったと思います。
75歳を過ぎたら余生です。
人間はどこかで気持ちが途切れたらすぐにダメになる事をすごく感じた…
めざましテレビの後の朝の顔として定着して、ズバッと言うところは印象的だったし。