ウルトラセブンの作曲家、冬木透さんが89歳で死去。音楽界に多大な影響を与えた人物として知られています。
89歳でした。
冬木さんは「ウルトラセブン」などの作曲家として広く知られ、エリザベト音楽短期大学(現在のエリザベト音楽大学)の1期生として音楽の道を歩み始めました。
彼は旧満州(現在の中国東北部)で生まれ、1949年に日本に帰国し、母の故郷である広島県八重町に住むことになりました。
その後、広島市に転居し、観音高等学校を経て、1952年にエリザベト音楽短期大学作曲科に入学。
宗教音楽を専攻し、卒業後はTBSの前身であるラジオ東京に入社し、「鞍馬天狗」などの音楽を担当しました。
退社後は、初期ウルトラマンシリーズやNHKの連続テレビ小説「鳩子の海」の音楽を手がけ、広く知られる存在となりました。
また、桐朋学園大学で33年間にわたり後進の育成にも尽力しました。
エリザベト音楽大学の川野祐二学長は、冬木さんを「多分野で活躍された、本学出身の有名作曲家」として悼み、同窓会にもよく参加していたことを思い出しました。
冬木さんは校歌や合唱曲、宗教曲なども数多く手がけ、音楽界に多大な影響を与えました。
参考リンクhttps://news.yahoo.co.jp/articles/3e8ef91ecd8205c7f77601e4395028a7e4e3c4da
冬木透さんが89歳で亡くなったというニュースに対し、多くのファンが心からの哀悼の意を表していました。
コメントの中では、冬木さんが手掛けた音楽が、特に「ウルトラマン」シリーズにおいて多くの人々の心に残っていることが強調されていました。
例えば、CD『「帰ってきたウルトラマン」ミュージックファイル』に収録されている75曲のほとんどが彼の作曲であり、聴くと子供の頃の思い出がよみがえるという意見がありました。
また、冬木さんの音楽が、ウルトラセブンの感動的なシーンにピッタリ合っていたことや、彼の作品が心の原風景のような存在になっているといったコメントもありました。
さらに、冬木さんの音楽は昭和の時代を象徴するものであり、そのメロディが今でも耳から離れないという声も多く聞かれました。
追悼の意を込めてカラオケで彼の楽曲を歌ったというエピソードや、国民栄誉賞を受賞してほしいという願いも寄せられていました。
冬木さんの音楽は、世代を超えて多くのファンに愛され続けており、彼の偉大な功績が改めて評価されていることが伺えます。
多くの人々が彼の音楽に感謝し、心からのご冥福を祈っている様子が印象的でした。
ネットコメントを一部抜粋
お悔やみを申し上げます。
冬木さんの数多の曲は素晴らしいが、あえてウルトラセブン最終回での選曲も。
冬木透先生の白眉は、帰ってきたウルトラマン…だと思っています。
物心ついた子供の頃、大人びたウルトラセブンの世界に完全に心を奪われていた。
冬木さん亡くなられたのか。
残念。