野球殿堂入りを果たした岩瀬仁紀氏が、自身のキャリアを振り返り、支えられたことへの感謝を語った。407セーブの記録は今後も破られそうにない。
岩瀬氏は、通算1002試合に登板し、20年間にわたるキャリアの中で数々の金字塔を打ち立ててきた。
記者会見で彼は、「本当にいいのかなという気持ち」と、殿堂入りの栄誉を喜びながらも、自己の成績を振り返った。
岩瀬氏は愛知大学からNTT東海を経て、24歳で中日に入団し、星野仙一監督から「試合は毎日ある。
常に前を向いてやらないといけない」と教わったことが、彼のキャリアの指針となった。
デビューから15年連続で50試合以上に登板し、2004年からは抑え投手として活躍。
5度の最多セーブを達成し、守護神としての役割を全うした。
特に、2007年の日本シリーズ第5戦での「完全試合リレー」は、彼にとって特別な思い出であり、今でもその緊張感を忘れられないという。
また、岩瀬氏は「そんなに体は強くない」と語りながらも、鳥取市の研究施設「ワールドウィング」で体力作りに励んだことを明かし、「人に支えられてここまで来た」と感謝の意を表した。
彼の築き上げた記録は、今後も簡単には破られないものとされている。
参考リンクhttps://news.yahoo.co.jp/articles/992b65b4771e4cf6ca1718c96d87775c2e481959
岩瀬仁紀氏の野球殿堂入りに関するコメントは、彼の卓越した功績を称賛するものが多かったです。
特に、400セーブという前人未到の記録や1000試合登板という偉業が際立っていました。
多くのコメントが、これらの数字が彼の努力と才能の証であり、殿堂入りは当然の結果であると認識していました。
また、岩瀬氏が愛知県出身であることから、地元の宝としての位置付けが強調されており、地元の人々からの愛情が伝わってきました。
彼のキャリアにおいて、大学時代には外野手として活躍し、リーグ通算124安打を記録していたことや、大学・社会人を経てドラゴンズに入団したことも多くの人に知られていました。
さらに、彼がリリーフとして起用された理由や、酒を飲まない体質が連日登板に貢献したというエピソードも取り上げられ、彼のキャラクターや背景に対する理解が深まっていました。
ただ、野球にあまり詳しくない一部のコメントでは、岩瀬氏の印象が北京五輪の韓国戦での出来事に限られていたこともありましたが、全体としては祝福の声が圧倒的に多かったです。
岩瀬氏の殿堂入りは、彼の長年の努力と成果を称える重要な出来事であり、今後も多くの人に語り継がれることでしょう。
ネットコメントを一部抜粋
東京ドームの野球殿堂博物館に岩瀬さんの400セーブと1000試合登板時のユニフォームが飾ってありますね。
岩瀬さんは、愛知県の宝だ。
大学生の時は3年まで外野手でリーグ通算124安打を記録して、野手として大学日本代表に選ばれている。
同じ鉄人の岩瀬氏が選ばれても何の不思議もない。
岩瀬と言えば北京五輪の韓国戦で滅多打ち食らった記憶しかない。