元フジテレビキャスター俵孝太郎さんが94歳で肺がんにより死去。政治評論家としても活躍し、多くの著書を残した。
94歳という長い生涯を全うした俵さんは、東京都出身で、葬儀は家族で行われ、長男の陽一さんが喪主を務めた。
俵さんは、産経新聞にて社会部記者および政治部記者としてキャリアをスタートし、論説委員としても活躍した。
1969年には文化放送のニュースキャスターに転身し、その後1978年から1987年までフジテレビのFNNニュースキャスターとして名を馳せた。
特に「FNNニュースレポート23:00」での決まり文句「こんばんは、俵孝太郎です」は多くの視聴者に親しまれ、ビートたけしや志村けんといった著名人に模倣されるほどの人気を誇った。
87年に独立した後は、政治評論家としてテレビ番組や討論番組に出演し、講演活動も行った。
特に、女性誌での女性議員に対する厳しい批評で知られ、保守派の論客としての地位を確立した。
また、財務省の財政制度等審議会の専門委員を務めるなど、政治に対する影響力も持っていた。
著書には、「田中裁判」や「政治家の風景」、「対論・政治改革の非常識、常識」などがあり、彼の見解や分析は多くの人々に影響を与えた。
俵さんの祖父は商工相を歴任した俵孫一であり、小泉純一郎元首相とも親しい関係にあったことで知られている。
俵孝太郎さんの死は、多くの人々にとって大きな喪失である。
参考リンクhttps://news.yahoo.co.jp/articles/caf6926c49f686e90f14810b12806e97b4670cdd
俵孝太郎さんが94歳で亡くなったことに対して、多くのネットユーザーが彼の生涯を振り返るコメントを寄せました。
特に、彼が出演していた『マジカル頭脳パワー』の思い出が多く語られ、その中で彼の存在がどれほど影響力を持っていたかが強調されました。
俵さんは平成初期に日テレの番組でレギュラーを務め、その後フジテレビで夜のニュースキャスターとして活躍しました。
彼のキャッチフレーズ「こんばんは、俵孝太郎です」は、当時の流行語にもなり、視聴者に愛される存在でした。
また、彼の晩年の様子や、視聴者とのコミュニケーションの中でのユーモアも多くの人に印象を残していました。
彼の声のトーンや独特のキャラクターが、視聴者にとって親しみやすいものであったことが伺えます。
コメントには、彼の死を悼む気持ちや、彼が与えた影響についての感謝の言葉が多く見られました。
特に、彼が参加した番組やCMについての思い出が共有され、ファンからの温かい追悼の意が表されていました。
俵孝太郎さんは、ただのキャスターではなく、多くの人に愛され、記憶に残る存在であったことが、コメントからも感じ取れました。
ネットコメントを一部抜粋
俵孝太郎さんと言えば、平成初期は、日テレの番組『マジカル頭脳パワー』のレギュラーで有名だった。
俵さんや所さんが回答者でマジカルスキャナやあるなしクイズやマジカルミステリー劇場のコーナーがある頃のマジカル頭脳パワーが好きだった。
「こんばんは、俵孝太郎です」を皆がイジり始めたので、晩年は小さめの声でおっしゃってましたね(苦笑)
「こんばんは、俵孝太郎です」これこそが当時の流行語大賞!
タブクリアのCMの人。