児童文学作家・山中恒さんが語る戦時中の記憶と現在の日本への懸念をまとめたインタビュー。
彼は、自宅の書庫に貴重な戦時史の資料を保管し、歴史学者顔負けの著書を執筆している。
山中さんは、自身が“軍国少年”として過ごした戦前から戦中の時代を振り返り、当時の教育や思想が如何に戦争を正当化していたかを語った。
特に「少国民」という言葉が使われ始めた1941年頃、彼は国民学校で「大東亜建設戦争の前衛に立つ」という思想を教えられ、戦争が正しいものであると信じ込んでいたことを明かす。
学校では木刀を持ち、突撃訓練や防空壕の掘り方を学ぶなど、戦争に向けた教育が徹底されていた。
また、シンガポール陥落時には特別配給のキャラメルやお汁粉を通じて、戦争に勝つことが良いことだと教え込まれたことを振り返り、今思えばその考えは「ばかばかしい」と感じているという。
終戦を迎えた中学2年生の時、玉音放送を聞いた彼は、「せしめたり」という言葉に勇ましさを感じたが、後にその意味を理解し、歴史の捉え方の重要性を認識するようになった。
山中さんは、現在の日本が過去に戻ろうとしていることに懸念を示し、歴史を学ぶことの必要性を訴えている。
参考リンクhttps://news.yahoo.co.jp/articles/a4c8f24cec396be7a1ddeb35d2691513f81da657
山中恒氏が語った戦時中の記憶についてのコメントは、非常に多様な意見が寄せられました。
特に、少国民世代の視点からの貴重な証言が多く、戦争の影響を受けた世代がどのようにその経験を語り継いでいるのかが強調されていました。
多くのコメントは、教育が子どもたちに与える影響や、戦後の価値観の急激な変化についても触れており、当時の人々が抱いた疑問や矛盾を指摘する声がありました。
また、戦争の教訓を忘れずに、国際親善の重要性を訴える意見もありました。
特に、台湾有事や中国の脅威についての現代の状況が、少国民世代にとっては過去の経験と重なるものであるといった見解も見受けられました。
さらに、戦後の教育システムや、当時の指導者たちの変わり身に対する疑問も多く寄せられ、戦争を実体験した世代の強い憤りが伝わってきました。
このように、山中恒氏の発言を通じて、歴史を学ぶことの重要性や、未来に向けての考察が深まる内容となっていました。
ネットコメントを一部抜粋
日米開戦から敗戦までを、十代前半の、自意識が生まれつつも純朴であるという年齢で過ごした少国民世代の人の言葉は貴重だ。
教育によって子供は何でも影響を持ってしまう。
大人たちの変わりように疑問に感じるのは自然な成り行きだろう。
戦後生まれの我々に想像出来ない、強い憤りが有る様だ。
国を挙げて馬鹿げた状態になってしまったのは当然であろう。