ダイハツがマレーシアで40%のシェアを持つ理由は、低価格で燃費の良いプロドゥア車の人気にあります。政府の保護政策が背景にあります。
これは、同じく国産車のプロトンが18.9%であるのと比較しても、その差は明らかです。
プロドゥアは、マレーシア政府の「ルック・イースト政策」に基づいて1983年に設立され、ダイハツの技術支援を受けて小型車や軽自動車を開発しています。
特に1994年に発売された初代「カンチル」は、約83万円という手頃な価格で多くの国民に支持され、「庶民の車」としての地位を確立しました。
プロトンが高価格で維持費もかかる一方で、プロドゥアは低価格で燃費の良い車を提供し、特に庶民にとって手の届きやすい選択肢となっています。
このような背景から、マレーシアの自動車市場はプロトンとプロドゥアの二社が政府の保護政策のもとで寡占状態にあり、ダイハツの影響力が強まっています。
現地では、ダイハツの車が「日本車」として認識されていることも多く、運転手たちはその燃費の良さを誇らしげに語ります。
マレーシアの自動車産業は、政府の政策とダイハツの技術力によって、国民にとって身近な存在となっているのです。
参考リンクhttps://news.yahoo.co.jp/articles/09b54867174f8da94b9cc48702698af0ced7e6e1
ダイハツ車がマレーシア市場で成功した理由についてのコメントでは、プロデュアの成長や国民車の定義、OEMの誤解が議論されていました。
特に、1990年代にダイハツの工場が設立された際の苦労や、国民的ブランドとしての地位を確立したことが感慨深く語られました。
また、マレーシアの自動車産業における国産車の重要性が強調され、日本の国民車とは異なる意味での「国民車」という言葉の使い方についても意見が交わされていました。
さらに、プロトンとプロデュアの関係や、他国との競争についても触れられ、特にタイに自動車製造ハブの地位を奪われたことが残念だとする声がありました。
OEMに関する誤解も指摘され、プロデュアがダイハツとの合弁企業であることが再確認されました。
過去の自社開発車両の存在や、プロトンの変遷についても触れられ、マレーシアの自動車市場の歴史が語られました。
全体として、ダイハツ車の成功は多くの人々にとって感慨深いものであり、今後の発展に期待する声が多く見られました。
ネットコメントを一部抜粋
このプロデュアという会社、1990年代に、今となっては最後のダイハツプロパー社長である三井氏が若い頃に陣頭指揮を取られて工場開設&生産開始にまでこぎつけた苦労の賜であることを思い出す。
マレーシアのNational Carって国の重工業化の発展に重点が置かれていることもあるし、日本語では国民車よりは国産車という語を当てはめる方がしっくりくるかなという気がします。
2代目テリオスをOEMしてた時代があるけど3代目は自社生産しており今はOEM車両無いような。
OEMという用語の使い方が間違ってます。
プロドゥアはダイハツとの合弁の自動車メーカーであり、ダイハツの工場で製造されてOEM供給される車の販売は行っていません。
プロトンは2017年にジーリーの傘下になっているよ。