徳大寺有恒が語る英国車の戦後史。1950年代の全盛期から衰退、ホンダとの提携、BMWによる買収を経て、現在の高級車としての地位を築く様子を解説。
1950年代、イギリス車は全盛期を迎え、オースティン・モータースとナッフィールド・オーガゼーションの合併によりBMC(ブリティッシュ・モーター・コーポレーション)が誕生しました。
この時期に生まれたMINIは、イギリス車の象徴とも言える存在となりました。
しかし、1960年代にアメリカの排ガス規制や安全基準の強化が影響し、イギリス車は競争力を失い、次第に衰退していきます。
多くのメーカーが消え、ローバーグループが形成されるも、輸出に耐えうる競争力に疑問が残ります。
1975年にはブリティッシュ・レイランドが国有化され、ホンダとの資本提携を経てオースチン・ローバー・グループへと変貌します。
MINIは人気を博し続けましたが、その後BMWがローバー・グループを買収し、ホンダとの関係は断たれました。
現在、MINIはBMWの元で生き残っていますが、他のブランドは消滅し、ブリティッシュ・レイランドの解体はイギリス自動車工業の終焉を意味します。
ジャガーやランドローバーは高級車として生き残り、特にレンジローバーはイギリス的なスタイルを象徴しています。
徳大寺は、イギリス車の地味さと贅沢さが独特であり、これからの季節に合うファッションとしてツイードやバブアーを挙げ、古めかしいイギリスの趣味を重視しています。
新しさも大切ですが、過度な流行には乗らないことが大事だと強調しています。
参考リンクhttps://news.yahoo.co.jp/articles/ccb1027f1a26ed534a6ae2c0de823e2c2a88b077
コメントでは、徳大寺有恒氏の自動車評論家としての影響力とそのユニークな視点が多くの人々に支持されていたことが述べられていました。
彼は、覆面評論家として自動車メーカーやディーラーを厳しく批判し、従来のカージャーナリズムに新しい視点をもたらしました。
特に、彼の「車は売っても買っても損」という名言は、多くの人に印象を残しました。
また、彼の文章には色気があり、真の車好きの視点が反映されていたため、カー雑誌の衰退は彼のような本物のクルマ好きがいなくなったことが一因だと考えられていました。
さらに、彼の英国車に対する評価は高かったものの、性能や信頼性については批判的な意見もありました。
特に、50〜60年代の英国車がトータルでイマイチだったという指摘や、ジャガーが外資に買収されたことに対する懸念もありました。
徳大寺氏の評論は、理性と感性が融合した内容であり、バイヤーズガイド的な側面と文芸的な側面を併せ持っていたため、彼の死後もその魅力は色あせていなかったようです。
彼の独特な表現や英国車への愛情が伝わる文章は、多くのファンにとって特別なものであり、その人間臭さも魅力の一部として受け入れられていました。
ネットコメントを一部抜粋
徳大寺氏は最初は覆面評論家だった。
カー雑誌が勢いを失ったのは本物のクルマ好きがいなくなったからかもしれない。
徳大寺さんは英国車の評価が高いが、信頼性や性能については疑問があった。
巨匠の車評は知性と感性が縦糸横糸になっている。
徳大寺さんの文章はジャーナリストのそれで、今の自動車関係のモノ書きとは異なっていた。