北朝鮮が35年前に韓国の防壁撤去を主張したが、現在は敵対的行動を強化している。国号表記に関する神経戦も浮き彫りに。
要約すると北朝鮮は1990年の高官級会談において、韓国軍が構築した対戦車防御用防壁を「民族分裂と南北対決の象徴」として非難し、その撤去を主張した。
この発言は、北朝鮮が過去において南北関係の改善を目指していたことを示す一方、現在の北朝鮮の行動とは矛盾している。
昨年以降、北朝鮮は南北連結道路や鉄道の爆破、物理的な障壁の設置を行い、休戦ライン一帯に防壁を設けるなど、敵対的な姿勢を強めている。
南側の代表は、防壁の設置は韓国戦争における北朝鮮の奇襲に対する防御策として必要だったと強調したが、北側はこの発言に対して反発し、会談は成果なく終わった。
また、北朝鮮は国号の表記に対しても神経を尖らせ、南北間の会談を国と国のものとして認めない立場を示していた。
さらに、当時の会議録には、北朝鮮の経済状況が厳しかったことも記されており、1990年代の「苦難の行軍」の兆候が見られた。
最近公開された文書は、1984年から1990年までの南北会談の記録を含んでおり、この時期の南北関係の変遷を浮き彫りにしている。
参考リンクhttps://news.yahoo.co.jp/articles/5c0f870ca71a9702bdbf131f709290bb20443b10