元中日投手の山本昌氏がドラフト指名のエピソードを語り、父親の影響や巨人ファンだったことを明かした。驚きのプロ入り秘話が話題に。
山本氏はNPB史上最年長の50歳まで現役を続け、通算219勝を挙げるなど数々の記録を持つが、実は無名の存在からのスタートだった。
日大藤沢高校時代は横浜商業高校の全盛期にあたり、甲子園出場を果たせなかったが、代役として神奈川選抜に選ばれ、社会人チームに勝利したことがきっかけで1983年ドラフト5位で中日入りを果たした。
ドラフト当日は内部進学が決まっていたため、他人事のように感じていたが、教頭から指名を知らされた際には驚きと半信半疑の気持ちを抱いたという。
帰宅後、父親が中日ファンであることから「親父うれしいだろうな」と思ったが、他の球団から指名されていたら行かなかったかもしれないと振り返る。
また、高校の恩師からの言葉がプロ入りの決断を後押ししたと話し、子供の頃からの巨人ファンだったにもかかわらず、巨人からはスカウトが来なかったことを明かし、徳光和夫氏と共に苦笑いした。
山本氏の独特な経歴と、プロ入りの背景には多くのドラマがあったことが伺える。
参考リンクhttps://news.yahoo.co.jp/articles/18189ea2fc5501588f30cb37fa2f18d91dfecdf8
山本昌氏のドラフト秘話に関するコメントは、彼の運命的な出会いや努力、そして成功したドラフトの重要性について語られていました。
多くのコメントが、昌氏の成長過程や彼に影響を与えた人物について触れており、特に星野監督との出会いが彼のキャリアに与えた影響が強調されていました。
また、アメリカ留学を経て進化した彼の投球スタイルや、ドラフトでの指名の経緯も多くの人々にとって興味深い話題となっていました。
ファンからは、昌氏の活躍を支えた人々への感謝の気持ちが伝わり、巨人ファンの影響力や中日ドラゴンズのスカウトの判断についての意見も見受けられました。
全体として、山本昌氏の成功は彼自身の努力だけでなく、周囲の人々の支えや運も大きかったことが感じられました。
ネットコメントを一部抜粋
もちろん本人の努力もあっただろうけど
指名受けるのもまさかだったのが、星野監督との出会い
昌さんは米国留学でスクリューを覚えて進化したんだよね
本当に人生って分からないですね。
ほんとこの選手は人との出会いで大投手となったから