日本製鉄鹿島の中島監督が日本選手権を最後に退任を発表。9年間の指揮を振り返り、選手に「一試合でも長く野球を」と伝えた。過去に数々の大会での成功も収めてきた指揮官の最後の挑戦が始まる。
中島監督は58歳で、通算16年目の在任期間を持つ指揮官です。
2015年12月に2度目の就任を果たして以来、9年間にわたってチームを指導してきました。
彼は「2度目は3年ぐらいと思っていたが、あれよあれよと時がたった」と振り返り、毎年進退伺を出していたことから今年がその年だったと心境を語りました。
退任を決めたのは大会直前で、選手たちには「一試合でも長く野球をさせてほしい」とお願いしたと述べています。
3日の1回戦では三菱重工Westを2-1で下し、4大会ぶりに初戦を突破しました。
試合後、中島監督は「これで終わってしまうかもしれなかったので、どきどきした」とコメントし、次戦に向けては「最後だからというわけでなく、いつも通りの戦いをするだけ」と自然体で臨む姿勢を示しました。
茨城県石岡市出身の中島監督は、現役時代に捕手として活躍し、1984年には取手二高で全国高校選手権決勝に出場し、PL学園の桑田真澄から3点本塁打を放ち茨城県勢初の優勝を達成しました。
98年に住友金属鹿島に入社し8年間プレーした後、2002年から08年まで初めての監督を務め、15年に再び指揮を執りました。
1期目には都市対抗大会に4度、日本選手権に2度出場し、2期目も1年目から4年連続で二大大会に出場するなど、計7度の導きを果たしました。
監督としての最高成績は都市対抗大会、日本選手権ともに4強です。
参考リンクhttps://news.yahoo.co.jp/articles/7a498b161d1a596529b6adef03c29b6307c70fa3
中島監督の退任に関するネットのコメントでは、彼の長年の功績に対する感謝の気持ちが多く表現されていました。
特に、甲子園の決勝での劇的なスリーランホームランについての思い出が強く残っているようです。
多くのファンがその瞬間を鮮明に覚えており、中島監督の指導のもとで活躍した選手たちの成長や今後の活動についても触れられていました。
また、彼がアマチュア野球界に与えた影響や、NHKの高校野球解説者としての活躍を期待する声もありました。
中島監督に対する感謝の言葉が多く、特に「お疲れさまでした」というコメントが目立ちました。
さらに、茨城県の高校野球を盛り上げてほしいとの要望もあり、地元への思いも感じられました。
中島監督の退任を機に、彼の指導を受けた選手たちが指導者として活躍していることも話題に上がり、彼の影響力の大きさが伺えました。
今後の活動に期待を寄せるコメントが多く、彼が新たなステージでどのような活躍を見せるのか、多くのファンが注目しているようです。