紫式部と清少納言の関係や文学的背景を解説。二人は平安時代の後宮で仕え、清少納言は『枕草子』を著した。互いに影響を与え合った可能性がある。
要約すると紫式部と清少納言は、平安時代の一条天皇の後宮に仕えた著名な女流文学者であり、彼女たちの関係は長い間比較されてきた。
文筆家の古川順弘氏は、二人の真の関係性について詳しく解説している。
大河ドラマ『光る君へ』では、二人は若い頃からの知り合いで、清少納言が紫式部に対抗心を抱く様子が描かれているが、実際の関係はどうだったのか。
清少納言は康保3年(966)頃に生まれ、父は歌人の清原元輔で、母は不詳。
彼女は一度結婚し、子供も持ったが、夫婦仲は良好ではなく、やがて離別。
993年頃から一条天皇の中宮定子の女房となり、華やかな宮廷生活を送った。
清少納言の女房名は、清原の略であるが、少納言の由来は不明である。
彼女が定子に仕える際、道隆一族が政権を握っており、定子と一条天皇の仲は非常に良好であった。
清少納言はその華やかな宮廷社会を描いた『枕草子』を著し、約300編の章段から成るこの作品は、類聚章段、日記風の章段、随想の章段に分類される。
特に有名な冒頭の「春は曙……」は、類聚と随想が混ざり合ったスタイルである。
清少納言の執筆動機は不明確だが、彼女の作品はその時代の宮廷生活を生き生きと描写している。
古川氏は、このような背景を元に、紫式部と清少納言の関係を再考察し、彼女たちの文学的な相互作用を浮き彫りにしている。
参考リンクhttps://news.yahoo.co.jp/articles/a06479fe62b4c1ec3bb6bf846f7ae7a9b776ca71