この記事では、日本における哲学の歴史と「哲学」という言葉の起源について詳しく解説しています。1583年に初めて哲学の講義が行われ、西周による日本語での講義が重要な役割を果たしました。
明治維新以降、日本の哲学者たちは「言葉」や「身体」、「自然」、「社会・国家」といったテーマについて深く考察し続けてきました。
その中で、哲学という言葉がどのように日本に根付いていったのかを探る内容となっています。
特に、日本で初めて哲学の講義が行われたのは1583年で、イエズス会の高等教育機関であるコレジオで人文課程の後に哲学課程が始まりました。
この講義はラテン語で行われ、聴講者はポルトガル人神学生5名でした。
日本語での哲学講義は、西周によるものであり、彼は明治維新後に啓蒙家として活動し、私塾を開いて多くの門弟に哲学を教えました。
西は、1862年にオランダに留学し、帰国後には「百学連環」と題した講義を行い、哲学の歴史や論理学、存在論などの基礎知識を広めました。
この講義を通じて、現在の学問用語や哲学用語の多くが生まれ、特に「哲学」という言葉も西周に由来しています。
この記事は、藤田正勝の著書『日本哲学入門』からの抜粋であり、日本の哲学の発展とその重要性を再認識するための内容となっています。
参考リンクhttps://news.yahoo.co.jp/articles/d9da2461d7005b20d14daeed2176cd80e700a368
コメントの中では、日本哲学の歴史や「哲学」という言葉の起源に関する多様な意見が寄せられていました。
特に、現代の日本人の知識層が持つ漢字の知識についての称賛があり、未知の概念を漢字に置き換えることの難しさが強調されていました。
現在の新しい概念がカタカナで表現されることが多い中、中国では漢字を使い続けている点が興味深いと感じる人が多かったようです。
さらに、英語の「philosophy」の語源が古代ギリシャ語の「知恵を愛する」に由来し、その真意が「判らない課題を悩み続ける」というものであることが説明されていました。
これに対して、日本語の「哲」の語源が「スパッと言い切る、説明する」であり、どちらかというと論理に近い要素があることが指摘されていました。
このため、日本語の「哲学」という訳がやや奇異に感じるという意見もありました。
結果として、日本では哲学者がノウハウ的なことを説く現象が見られることが多いと感じた人もいたようです。
全体として、言葉の持つ文化的背景や哲学の捉え方に対する深い考察がなされていました。
ネットコメントを一部抜粋
近代の日本人の知識層の漢字の知識が素晴らしい。
未知の概念を漢字に置換することは想像以上に難しかったはず。
英語のphilosophyの語源は古代ギリシャ語で「知恵を愛す」。
哲の語源は「スパッと言い切る、説明する」。
哲学者がノウハウ的なことを説く珍現象が日本ではよく見られる。