トルーマン大統領の原爆投下決定と日本の和平希望

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

笠谷和比古氏が講演で、原爆投下の正当化に反論し、トルーマン大統領が日本の和平希望を知りながら投下を決定した背景を説明しました。

要約すると国際日本文化研究センター名誉教授の笠谷和比古氏は、東京都内で行った講演で、米国による原爆投下の正当化に反論した。

彼は、1945年7月時点でトルーマン米大統領が日本の和平希望を把握していたにもかかわらず、原爆投下を決定した背景を説明した。

笠谷氏は、「トルーマンの頭には、マンハッタン計画で全てを解決することが充満していた」と指摘し、原爆投下が戦争終結に必要だったとの見解に疑問を呈した。

広島と長崎への原爆投下について、オースティン米国防長官や共和党上院議員が戦争終結のために必要だったとの見解を示したが、笠谷氏は日本側の和平交渉の努力も無視されたと強調した。

昭和天皇は、ソ連を仲介とした和平交渉を試み、近衛文麿元首相を特使に任命したが、ソ連のスターリン首相との密約が交渉を難航させた。

近衛特使派遣の申し出は米側に傍受され、トルーマンには報告されていた。

トルーマンの日記には、スターリンからの日本側の講和提案に対する無視の記録があり、原爆製造の成功に関する記述が多く見られる。

笠谷氏は、原爆投下が戦争終結に不可欠だったという主張に対し、トルーマンの日記を根拠に反論し、日本側の和平提案と原爆投下が同時に存在していたことを指摘した。

彼は、米国の立場に対して日本が厳しく反論すべきだと訴え、歴史的な視点からこの問題を再考する重要性を強調した。

参考リンクhttps://news.yahoo.co.jp/articles/aa80ff95de12bbe775eadb09bd4bbe8914ace85f

ネットのコメント

トルーマン大統領が原爆を投下した背景には、戦後のアメリカの優位性を確立する意図があったとされ、特にソビエト連邦に対する警告の意味も含まれていたというコメントが多く見受けられました。

また、原爆によって日本の降伏を早めたというアメリカ政府の主張に対しては、実際には多くの民間人が犠牲になったことから、その正当性には疑問が呈されました。

日本の外交の失敗がこの状況を生んだとの意見もあり、当時の日本政府が適切な判断を下せなかったことが強調されていました。

特に、ポツダム宣言を受け入れる判断が遅れたことが、広島と長崎への原爆投下を招いたとの指摘がありました。

さらに、原爆は単なる戦争終結の手段ではなく、アメリカ国内での政治的な理由や実験的な側面もあったとの意見もあり、これが戦争の倫理性を問う声につながっています。

原爆投下の結果として、日本の戦後教育や国民思想が影響を受けたことも指摘され、その影響が現在まで続いているという意見がありました。

総じて、当時のアメリカの決定が持つ意味や影響について、多角的に考察する必要があるとの意見が多く寄せられました。

ネットコメントを一部抜粋

  • トルーマンはすでに戦後を見据えていて、原爆で自国の優位性を確立させたかった。

  • 原爆投下を行った理由の一つに、マンハッタン計画に投入された予算について議会に説明する必要があったと言われています。

  • そもそもソ連にアメリカとの仲介を頼んだのが大間違い。

  • トルーマンは原爆を落としたくて落としたくて仕方なかった。

  • 当時の日本政府も負け政権になりたくなくて、全土空襲後もぐずぐず降伏も停戦交渉もしなかったのはわるい。

関連URL

2025年最新!東京都のニュースに関するまとめ

2025年最新!戦争のニュースに関するまとめ

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

SNSでもご購読できます。