マツダの歴史を振り返り、排ガス規制やオイルショックが同社のロータリーエンジンに与えた影響と、経営危機を乗り越えた過程を紹介しています。
1970年代半ば、マツダはロータリーエンジンを実用化し、「ロータリゼーション」の時代を迎えましたが、1973年のオイルショックにより、燃費の悪いロータリーエンジンは北米市場で「ガスイーター」としての汚名を受け、販売が低迷しました。
しかし、マツダは技術革新を追求し、排ガス対策として独自の浄化システムや燃費改善技術を導入しました。
特に、希薄燃焼方式のロータリーエンジン6PIの開発によって燃費を40%向上させることに成功しました。
1980年代には、RX-7などのモデルが登場し、特にRX-7は社会現象となるほどの人気を誇りましたが、再びオイルショックが襲い、マツダは経営基盤を強固にするためにフォードと資本提携を結びました。
1989年には、販売チャンネルを5つに分ける「5チャンネル体制」を導入し、マツダのブランドを多様化させました。
しかし、車種を広げすぎた結果、経費がかさみ、バブル崩壊により再び経営危機に直面しました。
そこで、ヒット作のデミオが登場し、マツダは再び浮上のきっかけをつかみました。
この記事は、マツダの栄光と苦難の歴史を通じて、企業の適応力や革新性を強調しています。
参考リンクhttps://news.yahoo.co.jp/articles/b42a259554471b8de0bf6b6aee0a5979adba2ca4
コメントでは、マツダの歴史や排ガス規制への影響に関するさまざまな意見が寄せられていました。
特に、平成元年頃に放送されたNHK特集を思い出す声があり、当時のビッグ3が排ガス対策に消極的であったことが指摘されていました。
それに対し、ホンダとマツダが積極的に取り組んだことが評価されていました。
しかし、オイルショックがロータリーエンジンにとって不運であったという意見もありました。
また、SAやFCというモデルについての燃費に関する意見もあり、ノーマルタイプであれば燃費が悪くないとの声がありました。
さらに、山健氏のエンジン開発に対する情熱や、彼が追い求めた理想についても言及されていました。
コメントの中には、過去のモデルや技術への愛着が感じられるものも多く、特に6PIやスーパーインジェクションに対する評価もありました。
全体として、マツダの歴史と技術に対する深い理解や感情が表現されていました。
ネットコメントを一部抜粋
平成元年頃のNHK特集だったかこのあたりのことを描いたものがありましたね。
マスキー上院議員が排ガス対策を求めてもビッグ3は消極的でした。
SAとFC乗っていましたが、言うほど燃費悪く無かったです。
山健さん健在の頃から、レシプロはスモールボアで燃焼素質良好なエンジンを目指していました。
写真載せといて、記憶に留めておきたいで終わり?