政治家で医療法人『徳洲会』創設者の徳田虎雄さんが逝去。医療制度改革に尽力し、選挙戦での激闘や病院経営の功績が評価される。ご冥福をお祈りします。
彼は1938年に鹿児島県の徳之島で生まれ、幼い弟の死をきっかけに医師を志しました。
大阪大学医学部を卒業後、1973年に徳田病院を開業し、「365日24時間無休、保険証なしで診察可能」という先進的な医療方針で地域住民から支持を受けました。
1975年には医療法人徳洲会を設立し、全国に病院や診療所を展開しましたが、その積極的な病院建設は地元医師会との対立を招きました。
政治家としても活動し、1983年と1986年の衆院選で激しい選挙戦を繰り広げ、「保徳戦争」と呼ばれる争いを引き起こしました。
1990年に当選し、衆院議員を4期務めましたが、医療制度に関する具体的な政策は持たず、病院建設を目的として選挙に勝ち続けることが中心となりました。
石原慎太郎氏との親交もあり、政治的な影響力を持っていましたが、2005年にはALSにより政界を引退。
病床にあっても徳洲会グループのトップとして病院経営に関与し続け、2013年には選挙管理法違反の疑いで摘発されましたが、病気を理由に不起訴となりました。
徳田さんが残した「年中無休・24時間オープン」の医療法人は、現在も地域医療の中核を担っています。
彼の功績を偲び、心よりご冥福をお祈りします。
参考リンクhttps://news.yahoo.co.jp/articles/c17d932af251d4b4a1e2f2634b30f79f13051d78
徳田虎雄氏に関するコメントは、彼の医療改革や政治活動に対する評価が多く寄せられていました。
特に、彼が持っていた「命だけは平等だ」という理念や、貧しい人々にも良い医療を提供したいという熱意が、多くの人々に感銘を与えたようです。
あるコメントでは、徳田氏の講演を聞いた際の印象が語られ、彼の生い立ちや人生の教訓が強く記憶に残っていることが示されていました。
さらに、彼が奄美の離島に病院を作るために自らの生命保険を担保に入れたエピソードも取り上げられ、彼の行動力や情熱が称賛されていました。
徳洲会の医療に対する姿勢についても触れられ、患者には優しいが医師やスタッフには厳しいという意見もありました。
また、彼の訃報があまり報じられなかったことに対する疑問の声もあり、彼の影響力がどのように評価されているかが伺えました。
総じて、徳田氏の理念や活動が多くの人々にとって大きな影響を与えたことが、コメントの中から感じられました。
ネットコメントを一部抜粋
40年前、徳田氏の講演を聞く機会がありました、まだ政治家になる前。
貧しくてもすべての人に良い医療を、という理念には共感しました。
徳洲会vs日本医師会。
徳田さんは自分の生命保険さえ担保に入れて奄美の離島に病院を作った。
‘命だけは平等だ’の精神は、離島・僻地医療の実践等において「有言実行」されたと思います。
立志伝中の人物ですね。
経済的に行き詰っても相談に乗ってくれる病院は徳洲会、その他は済生会と生協病院くらいと聞きます。