産経新聞社元社長の清原武彦氏が87歳で死去。多くのメディア関連の役職を歴任し、日本の政治改革にも貢献した。葬儀は近親者のみで行われる。
享年87歳。
葬儀は近親者のみで執り行われ、喪主は長男の邦彦氏が務めることが報告されています。
後日、お別れの会が予定されています。
清原氏は慶応大学を卒業後、昭和37年に産経新聞社に入社し、ワシントン支局長や政治部長、編集局長、論説委員長、専務取締役などの役職を経て、平成9年に社長に就任しました。
その後、平成16年には会長に昇任しました。
社長在任中の平成10年には、31年ぶりに産経新聞社の中国総局を復活させるなど、新聞社の発展に寄与しました。
また、フジ・メディア・ホールディングスやフジテレビの取締役を務めたほか、日本新聞協会の副会長や上野の森美術館の館長、日本美術協会の副会長としても活動しました。
特に、高松宮殿下記念世界文化賞の発展に尽力したことが評価されています。
さらに、第8次選挙制度審議会や第3次臨時行政改革推進審議会の委員として、日本の政治改革にも貢献しました。
清原氏はその功績から、27年には旭日大綬章を受章し、21年には囲碁普及への貢献が認められ、日本棋院から大倉喜七郎賞を受賞するなど、多くの業績を残しました。
参考リンクhttps://news.yahoo.co.jp/articles/e6d3158e066183ce99142b8c1521671b8f5df23d
コメントの中では、清原武彦氏の死去に対する惜しむ声が多く寄せられました。
特に、彼が産経新聞社の社長として果たした役割や影響力についての言及がありました。
具体的には、産経新聞社が中国における取材を再開した経緯が注目され、1967年の文化大革命中に中国政府から追放され、1998年に再開するまでの長い期間の苦労が語られました。
この背景には、他のマスコミが文革の真実を報じていたことが影響していたとされ、特に朝日新聞は異なる姿勢を取っていたことが指摘されました。
朝日新聞が「書かなくてもいい」という方針で中国の悪いことを報じなかったことが、社内権力闘争の中での一つの戦略だったという意見もありました。
さらに、フジサンケイグループに対する批判的なコメントもあり、現在の新聞業界の状況についての懸念が表明されていました。
全体を通じて、清原氏の功績を振り返るとともに、新聞業界の変化や今後の展望について考えさせられる内容となっていました。
ネットコメントを一部抜粋
産経新聞社の中国総局復活とさらっと書いてあるけど、文化大革命中の1967年に中国政府から追放処分を受けて…
朝日新聞のくだり、まさに朝日新聞社の広岡会長と渡辺社長時代の親ソ連派、親中国派の社内権力闘争時期だったなぁ。
ふーん。
フジサンケイグループはもう脱落企業。
他社との比較が行われていました。