後藤亘さんが語るFM放送の普及の歴史とその背景についての証言を紹介しています。
後藤さんは、FM放送の「育ての親」として知られ、エフエム東京の名誉相談役を務めています。
彼の回想は、FM放送が日本でどのように始まり、広がっていったのかを明らかにします。
戦後の日本において、FM放送は、当時のAM放送とは異なり、受信機が全く存在しない状態からスタートしました。
後藤さんは、教育放送の重要性を訴える松前重義氏との出会いをきっかけに、FM放送の世界に足を踏み入れます。
松前氏は、教育の機会が限られる中で、ラジオを利用した教育放送の必要性を強調し、後藤さんにFM放送の実現を託けました。
1958年には、東京・代々木の東海大学から実験放送が始まり、FM放送の基盤が築かれていきます。
しかし、当時はFMを受信できる機器がほとんどなく、FM東海が学生に作らせた受信機が唯一の存在でした。
NHKもFMの実験放送をしていましたが、普及活動には消極的でした。
後藤さんは、FM放送の高音質を活かし、クラシックやジャズといった音楽番組の制作に取り組み、FM放送の魅力を広める努力を続けました。
このように、後藤さんの証言を通じて、FM放送の発展には多くの人々の情熱と努力があったことが浮き彫りになります。
参考リンクhttps://news.yahoo.co.jp/articles/8f8b5824046e17e5a0054a72d67caa9662070407
コメントでは、FM放送の普及に関する個々の体験や技術的な進化について多くの意見が寄せられていました。
例えば、1970年頃からFM放送を聴き始めたという方が、自作のT型アンテナや八木アンテナの設置について詳しく説明しており、その工夫や努力が伺えました。
また、FM東海の教育番組についての思い出や、通信教育講座の移行についての情報もあり、放送内容が時代と共に変化していったことが強調されていました。
さらに、電波と有線の関係や、ラジオがネットで聴けるようになったことに対する驚きや感慨も表現されていました。
FM放送のステレオ方式についての技術的な考察や、電波行政に対する疑問も見られ、FM放送の歴史がいかに多様で深いものであったかを感じさせる内容でした。
このように、コメントはFM放送に対する愛着と技術への感心が溢れており、歴史的な背景を知る上で非常に興味深いものでした。
ネットコメントを一部抜粋
私がFM放送を聴きだしたのは1970年ころだから,本記事の歴史でいえば後期になる。
そのうち,自宅の屋根に登り,本式のFMアンテナ(八木アンテナ)を立てた。
FM東海の教育番組は東海大学付属望星高校の高校通信教育講座で新聞のラテ欄には「望星高校の時間」と掲載されていた。
ラジオはネットで聞く時代。
テレビもネットで見る時代。
正当な理由で実験から普及に至れたその後、不可解極まりない免許交付局社乱立で結果、都道府県域免許局社破綻廃局3度もという。