吉田義男さんが91歳で逝去。阪神タイガースで名遊撃手として活躍し、監督として日本一に導く。江本孟紀さんが大トレードの舞台裏を明かす。
91歳という長寿を全うした吉田さんは、阪神タイガースで名遊撃手として名を馳せ、1985年には監督としてチームを初の日本一に導いた。
彼は京都市出身で、立命館大学を中退後、1953年に大阪タイガース(現・阪神タイガース)に入団し、17年間にわたって阪神一筋でプレー。
初年度から遊撃手のレギュラーとして活躍し、ベストナインに9回選出されるなど、その実力を証明した。
引退後は野球解説者としても活動し、阪神の監督を3度務め、1992年には野球殿堂入りを果たした。
江本孟紀さんは、吉田さんが監督時代に行われた江夏豊さんと江本さんの大トレードの舞台裏を明かし、吉田さんがこのトレードを持ちかけたことを語った。
江本さんは吉田さんのプレーを「牛若丸」と称賛し、彼との二遊間は「守備練習で銭が取れる」と評された。
特に、バックハンドトスを初めて行った鎌田実さんとのコンビネーションは見事で、ダブルプレーを難なく決める吉田さんの姿は多くのファンに印象を残した。
1976年には、江本さんが南海のエースとしてトレード話を持ちかけられ、吉田さんが当時の南海監督・野村克也さんに江夏さんとのトレードを提案したエピソードも語られた。
吉田さんの影響力と野球界における功績は、今後も語り継がれることであろう。
参考リンクhttps://news.yahoo.co.jp/articles/529f5cdf43b43648f3dca1b9d941203dc538eab3
コメントの内容は、吉田義男さんの功績や江本選手の証言に関する多様な意見が集まりました。
特に、江夏選手とのトレードに焦点が当てられ、トレードの背景やその後の影響についての考察が多く見られました。
江夏選手は阪神に留まりたかったものの、トレードを通じて南海で野村監督と出会い、リリーフ投手としての道を切り開いたことが強調されていました。
また、吉田監督が江夏選手を南海にトレードしたことにより、両者の関係が険悪になったとの意見もありましたが、最終的には和解があったのか気になるという声もありました。
さらに、吉田監督の指導力や選手間の派閥争いが阪神の優勝を妨げたとの指摘もあり、当時の阪神タイガースの状況についての洞察がありました。
コメントの中には、吉田監督の人柄や選手たちとのエピソードも多く含まれ、阪神の歴史における重要な人物としての評価が見受けられました。
全体として、吉田義男さんと江本選手の関係性を通じて、阪神タイガースの歴史やプロ野球の変遷についての興味深い視点が提供されていました。
ネットコメントを一部抜粋
私の子供の頃の記憶では当初の2遊間の2塁手は白坂長栄という方で…
吉田氏が1年目からレギュラー獲れたのは、キャンプで臨時コーチに来ていた名人ノッカーが…
江夏は阪神で終わりたいと思っていて、野村さんは単に「南海に来い」と言ってもダメだと考え…
このトレードの件に関して、江夏氏は吉田氏の事を逝去された今でも憎んでいるように思いますが…
このトレードが無かったら後々のプロ野球史が変わってたんよなあ…