三条天皇と藤原道長の対立は、実際の歴史でより泥沼化していた。道長の無礼な行動や三条の不運な人生が絡み合う悲劇が描かれている。
要約すると大河ドラマ「光る君へ」で描かれた三条天皇と藤原道長の対立は、実際の歴史ではさらに複雑で泥沼の様相を呈していた。
東京大学名誉教授の保立道久氏によれば、三条天皇の最初の妻が密通事件を起こした際、道長はその妻の乳房を調べるという無礼な行動に出た。
この出来事は三条天皇にとって屈辱的であり、道長の強引な手法に対する怒りを引き起こした。
三条天皇は36歳で即位するも、長い皇太子時代を経ており、常に道長の権力の影に置かれていた。
彼の即位後、道長は自らの娘を中宮にするなど、権力を強化するために様々な策略を巡らせたが、これが三条天皇との関係をさらに悪化させた。
三条天皇は不運な人生を送り、最初の妻が源氏と密通したり、道長の干渉を受けたりと、心労が絶えなかった。
彼の二番目の妻や三番目の妻も早くに亡くなり、特に三番目の妻は子供を産むことなく若くして亡くなった。
さらに、三条の侍臣である藤原誠信の悲劇的な死も、道長との関係の悪化を象徴する出来事であった。
誠信は道長に対する恨みを抱え、最終的には自ら命を絶つことでその思いを貫いた。
これらの出来事は、三条天皇の短い生涯と藤原道長の権力欲が交錯する中で、より複雑な人間ドラマを生み出していたことを示している。
参考リンクhttps://news.yahoo.co.jp/articles/8e60f392d361fc1bc6723abfab8ed321a1530636