1950年代のマイクロカーを振り返り、特に興味深い37台を紹介。経済的背景と独自のデザインが魅力の小型車たち。
当時、多くの人々が自家用車を求めていたものの、経済的な理由から「ちゃんとした」車を購入できない状況がありました。
そこで注目を集めたのが、2気筒エンジンを搭載した超小型車や、グラスファイバー製のボディを持つマイクロカーです。
これらの車は、手頃な価格でありながら独自のデザインや機能を持ち、特に多くの企業がこの分野に参入しました。
しかし、1959年にミニ(Mini)が登場すると、マイクロカー市場は厳しい淘汰の時代を迎えました。
1960年代に残ったメーカーはごくわずかで、マイクロカーの中には独創的なモデルもあれば、質の悪いものも存在しました。
この記事では、特に興味深い37台のマイクロカーを紹介しています。
たとえば、ピールP50は世界最小の量産車として知られ、1962年から1965年にかけて生産されました。
現在はガソリンエンジンとEVモデルがあり、AUTOCARでは「4.8馬力の幸福のジェネレーター」と評価されています。
また、ビスキューターは1953年から1960年にかけて約1万台生産された車で、2人乗りスクーターを意味する名前が付けられています。
さらに、ブルッシュ・モペッタは、極限までミニマリズムを追求した1人乗りのマイクロカーで、わずか14台しか生産されなかった特異な存在です。
これらのマイクロカーは、単なる乗り物ではなく、当時の社会背景や人々のニーズを反映した文化的なアイコンとも言えるでしょう。
参考リンクhttps://news.yahoo.co.jp/articles/68880d33fe1c1b0f36acda5d9551cff661454dae
1950年代のマイクロカーに関するコメントは、当時の日本やフランスにおける小型車の登場とその歴史的な背景について多くの意見が寄せられていました。
特に、戦後の日本ではオートサンダルやテルヤン、ニッケイタロ―などの「虫車」が多く現れ、戦前からの系譜を持つダットサンやオオタのようなメーカーも存在したことが言及されていました。
これらの車は、当時の人々のニーズに応えようとするものであり、戦争の影響を受けた社会の中で、車を必要とする人々の想いが込められていたことが強調されていました。
また、フランスでもブガッティやヴォワザンなどの高級車メーカーが庶民向けの小型車を試作していた事例があり、マイクロカーが自動車産業の発展に寄与した点も評価されていました。
コメントの中には、マイクロカーが軽自動車の先駆けとなり、自家用車の普及に大きく貢献したという意見もありました。
全体として、当時のマイクロカーは人々の生活に深く根ざしていたことが伺え、時代の変遷を感じさせる内容でした。
ネットコメントを一部抜粋
戦後の日本にもこういう「虫車」がいくつも現れては消えた。
これらの車は、そんな人々が遺した想いの証である。
マイクロカーは戦後の自動車産業の発展の先駆けとなった。
フランスでも、ブガッティやヴォワザンのような高級車メーカーが試作した。
軽自動車として規格化したのは先見の明があったね。