『孫子』は誤解されている兵法書で、具体策が提示されず、読者の創意工夫が求められる。戦略書としての普遍性はあるが、実用的な応用が難しいとされる。
著者の海上知明氏は、近著『戦略大全 孫子』を通じてその実態を解説している。
『孫子』は普遍性が高い戦略書として位置づけられ、西洋のカール・フォン・クラウゼヴィッツの『戦争論』と対を成す存在である。
しかし、『孫子』がどのような目的で書かれたのかは、長い間謎に包まれている。
実際、現存する兵書の中で『孫子』だけが残されている理由は、その価値の高さにあると考えられる。
多くの人が『孫子』を読むことで名将になれると期待するが、実際には具体的な戦略が提示されておらず、読者の創意工夫に頼る部分が大きい。
したがって、兵法書としての機能はマニュアル的なものではなく、抽象的な内容が多いために応用が難しい。
『孫子』の普遍性は、その哲学的な側面に由来しているが、戦争の様相が変化する中で、抽象的な記述が実用的でないこともある。
『孫子』に書かれた内容を具体的に実現できる者こそが真の名将であり、そのような人物の存在が求められる。
著者は、戦略書としての『孫子』の位置づけやその誤解を解くことで、読者に新たな視点を提供している。
参考リンクhttps://news.yahoo.co.jp/articles/957db5e375a244260795b345456cb47a522a29b0
コメントの中では、『孫子』に関する誤解や解釈の違いが多く見受けられました。
特に、武田信玄の天下取りに関する意見が多く、彼が直面した地理的や経済的な制約についての指摘がありました。
信玄は甲斐の地を本拠にしていましたが、人口や資源が限られており、戦略的に不利な状況が続いていたことが強調されていました。
信玄が天下を狙っていたとしても、周囲の強大な敵や、地理的な障壁が大きな障害となっていたという意見が多かったです。
また、信玄と信長の戦略の違いや、信長がいかに迅速に行動したかも論じられました。
信長は地理的な優位性を活かし、革新的な戦略を展開したため、天下を取ることができたという意見がありました。
一方で、信玄は上杉謙信という強力なライバルを抱えていたため、計画が遅れた可能性があるとも指摘されていました。
さらに、孫子の兵法が時代や状況によって解釈されるべきであり、単純に信玄の失敗を孫子に帰するのは誤りだという意見もありました。
全体として、信玄の戦略や行動は多面的に評価され、彼が直面した歴史的背景や条件を理解することが重要であるという結論に至っていました。
ネットコメントを一部抜粋
兵法書はあくまで参考書だ。
信長は革新的な考えの持ち主で、歴史的なことは重視しなかった。
信玄が最初から天下を狙ってたのは同意する。
信玄は強かったが、隣国から見てさほど欲しい領地でもなかった。
信玄自身、上洛=天下取りの意思があったかは疑問だ。