近衛文麿は「事変不拡大」を目指したが、国民の戦争熱に翻弄され、日中戦争の泥沼化を防げなかった。メディアの影響と国民との認識のギャップがその要因である。
その背景には、国家と国民の一体感を生み出したメディアの影響があった。
特にラジオは、近衛のカリスマ性を高め、国民に対して「平和」を訴える手段となった。
しかし、近衛が求めた平和と国民の戦争への熱狂との間に大きなギャップが存在していた。
近衛は9月5日のラジオ放送で、「事件の拡大を避け、支那側の反省を促す」と語り、和平の必要性を強調したものの、そのメッセージが国民に正確に伝わったかは疑わしい。
戦争が長期化する中、ラジオは国家統制下の報道に制限され、戦勝気分を煽る内容が多く、国民は戦争に対して期待感を抱いていた。
近衛は、国民の支持を受ける一方で、辞意を漏らすこともできず、戦争の早期解決を目指すも、軍部の主導権を奪うことに失敗した。
ドイツを仲介とする和平の試みも挫折し、最終的に近衛は政権を投げ出すこととなった。
1939年1月4日、近衛内閣は総辞職し、彼の政治的な道は閉ざされることとなった。
このように、近衛文麿の苦悩は、国民の戦争への期待と彼自身の平和への願いとの間にあった矛盾に起因していた。
参考リンクhttps://news.yahoo.co.jp/articles/ce0f2e476a5ab43b30e97650e51683f115624aea
コメントでは、日中戦争の泥沼化について多くの意見が交わされました。
特に、国庫予算が4倍に膨れ上がった賠償金の問題や、狭い国土に北方の土地が手に入ったことをどのように国民に伝えるかが議論されました。
戦争が泥沼化する中で、国民に撤退を納得させるのは難しかったという意見もありました。
また、統帥権が天皇に帰属していたため、内閣が軍部を制御できなかったことが大きな原因とされ、軍部が暴走した背景についても触れられました。
近衛文麿の行動や、彼がヒトラーの仮装をしたエピソードについても言及され、彼の国際政治における野心が伺えるとの指摘がありました。
さらに、当時の権力や責任の所在が曖昧であり、組織が好き勝手に動く状態が問題視されました。
戦争を止めることができなかった理由として、国民の意識不足や外部要因も挙げられ、特に中国側の攻撃が止まらなかったことが影響したとの意見もありました。
全体として、日中戦争の泥沼化には多くの要因が絡んでいることが示されました。