隈研吾設計のM2ビルが持つ東京の建築的意義

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マツダの2番目のブランド「M2」の拠点M2ビルは、隈研吾氏が設計した独特なデザインの建物で、オープンな開発を促進するための交流拠点として機能していました。近代的と中世的なデザインが融合し、東京の建築的多様性を象徴しています。

要約するとこの記事では、マツダの2番目のブランド「M2」の拠点であるM2ビルについて詳述しています。

このビルは、1991年に竣工され、建築家隈研吾氏が若手時代に設計したもので、バブル期の勢いを反映した独特なデザインが特徴です。

ビルは環八沿いに位置し、もともとはマツダからスピンオフしたM2の本社として機能していました。

M2プロジェクトは、エンドユーザーとのオープンなコミュニケーションを通じて量産車の開発を目指しており、そのための交流拠点としてM2ビルが建設されました。

隈氏は、売却されにくいデザインを求められ、モダニズムとポストモダン、シュルレアリスムを融合させたビルを完成させました。

ビルの中央にはギリシャ神殿を模した大きな円柱があり、その上部にはイオニア式柱頭の装飾が施されています。

ビル全体は左右非対称で、近代的なデザインと中世的なデザインが共存しています。

隈氏の意図は、東京のエッジに存在する多様な建築様式や素材を一つの建築に集約することでした。

このように、M2ビルは単なるオフィスビルではなく、東京の建築的カオスを象徴する存在として、今なお注目を集めています。

参考リンクhttps://news.yahoo.co.jp/articles/2563c9b2ea9802e50acf2bca811ad8c3df6425c0

ネットのコメント

隈研吾設計のM2ビルに関するコメントは、建物のデザインや機能性についての多様な意見が寄せられました。

多くのコメントは、M2ビルが持つ独特の外観やその存在感を評価し、当時のポストモダン建築の一例として意義を見出していました。

特に、周囲の建物とは異なる個性的なデザインが、今でも新鮮さを感じさせるという意見がありました。

また、建物が葬儀場に転用されたことに対して驚きや感慨を持つ声も多く、過去に訪れた思い出や当時のテナントについての懐かしさを表現するコメントもありました。

中には、建物が持つ芸術的な価値や文化的な意義についての見解を述べる人もいて、単なる建物以上の存在として評価されていることが伺えました。

一方で、ダサい、機能性が悪いといった批判も見受けられ、特に隈研吾の設計に対する疑問を呈する声もありました。

このように、M2ビルに対する意見は賛否が分かれ、建物自体が多くの人々に影響を与えていたことがわかりました。

ネットコメントを一部抜粋

  • 当時もデザインは奇抜であり男性様トイレが最初マジか~!てな仕様でした。

  • 民間の建物が現役で残ってるのだから、評価すべきですよ。

  • 芸術とは、「なんじゃこりゃ!こんなもの見たことない!」という指標があるとすれば、完全にありですね。

  • 建築当初、近隣に住んでいた頃は、外観より車とイタリアンに洋書と、入ってるテナントが変わってるなとしか思わなかった。

  • ダサいけど個性的で意外にずっと使われるんじゃないかな?

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