東京オートサロン2025で辰己英治元総監督のトークショーが開催され、スバル入社の経緯や初代レガシィ開発の苦労、ニュルブルクリンクでの成功が語られた。ファンとのサイン会も盛況だった。
辰己氏は1970年に富士重工(現・スバル)に入社し、初代レガシィの開発やスーパーGT、ニュルブルクリンク24時間レースでの総監督を務めた。
彼の入社は特にスバルを志望していたわけではなく、学校の先生の勧めで受験した結果、合格したという意外な経緯があった。
初代レガシィの開発は、当時のスバルが経済的に厳しい状況にあり、ヒット車が無く、会社存続の危機に直面していたことから始まった。
辰己氏は、AWDの特性を生かし、曲がる四駆を目指して開発チームと共に努力した。
その結果、レガシィは高い評価を受け、スバルの危機を救う存在となった。
また、辰己氏は2008年からニュルブルクリンク24時間耐久レースにワークスとして参戦することを決定し、その後も数度の優勝を果たすなど、スバルのAWDの実力を証明した。
トークショーでは、辰己氏の経歴やレース哲学が語られ、彼の著書『Mr.SUBARU/STI 辰己英治の軌跡』の発刊記念サイン会も行われ、多くのファンが集まった。
辰己氏の活動はスバルファンだけでなく、広く自動車業界に影響を与えた重要なものである。
参考リンクhttps://news.yahoo.co.jp/articles/570719da30d3bb9b619b8ce8f3b4a7a57a372475
辰己英治元総監督がスバルの軌跡やモータースポーツの未来について語った記事に対するコメントには、さまざまな意見が寄せられました。
特に、スバルの元社員が早期退職した理由として、仕事の面白さが欠けていることが挙げられており、現在のスバルがトヨタの下請けとしての体制に苦しんでいるとの指摘がありました。
このような体制は、他の多くの企業でも見られるもので、TVCMなどでの印象とは異なる企業文化が根強く残っていることが懸念されていました。
一方で、スバルのモータースポーツに関心を持つファンからは、SGT(スーパーフォーミュラ)に多くのスバリストがいることに触れ、辰己監督に魅了されている様子が伺えました。
また、辰己さんのイメージとしては、初代レガシィや初代インプレッサの開発に関する記憶が強いという意見もありました。
全体的に、辰己監督の影響力やスバルの歴史に対する敬意が感じられる一方で、現状の企業文化に対する不安や批判も存在していました。
ネットコメントを一部抜粋
知り合いの元スバル社員が早期退職した。
トヨタの下請けとなっている現在、内容はトヨタ自動車と同じで。
SGTにスバリストが多いな…と思ったけど。
辰巳さんのイメージは初代レガシィや初代インプレッサの開発のイメージが強いね!
揚げ足を取るようで申し訳ないが、朝鮮 ️挑戦 ️だよね。