ホンダ初代シビック誕生の背景には、高性能N360の成功とその後の技術的な失敗があり、独自の挑戦が商業的成功に繋がらなかったことが語られています。
ホンダは1967年に軽自動車のN360を発売し、その高性能が若者たちを魅了した。
しかし、前輪駆動技術の未熟さから事故が多発し、消費者団体から欠陥車として告発される事態に至った。
この経験は、ホンダが4輪車市場に本格進出するための重要な教訓となった。
続いて1969年には1300セダン/クーペが登場し、当時としては画期的な空冷エンジンを搭載したが、設計上の問題から商業的には失敗に終わった。
特に、空冷エンジンの複雑な構造が重さやハンドリングに悪影響を及ぼし、実際の販売成績も振るわなかった。
ホンダはその後、1972年に145シリーズを投入し、空冷から水冷に変更することで性能を向上させたが、販売は芳しくなかった。
これらのエピソードは、ホンダが他社とは異なるアプローチで注目を集める一方で、技術的な課題に直面しながらも進化を続けた過程を示している。
シビックの誕生に至るまでの道のりは、ホンダが自動車業界において独自の地位を築くための試行錯誤の連続であったことを物語っている。
参考リンクhttps://news.yahoo.co.jp/articles/3349c3c70eccad559b7fc94a844fc55dbed300d4
コメントでは、ホンダ初代シビックの誕生にまつわるさまざまな技術的挑戦や教訓が語られていました。
特に、空冷エンジンと水冷エンジンの議論が多く、ホンダの開発者たちが直面した困難や、宗一郎氏の技術者としての情熱が印象的に描かれていました。
例えば、空冷エンジンに対する宗一郎氏のこだわりや、それに伴う社内での論争があったことが紹介され、彼が圧搾空気でエンジンを冷却する技術を証明したエピソードもありました。
また、CVCCエンジンの成功により、開発の第一線を退く決心をした経緯についても言及され、部下の言葉が彼の考え方に影響を与えたことが強調されていました。
さらに、初代シビックやシティターボの楽しさを語るコメントもあり、実際に乗った人々の思い出が共有されていました。
全体として、ホンダの革新とその背後にある人々の努力が称賛され、技術の進化に対する期待感が表現されていました。
ネットコメントを一部抜粋
水冷エンジンでさえもほとんどはストイキよりも濃いめの混合気でガソリン冷却しているのだから、ましてや空冷では。
空冷水冷問題では、ホンダF1でもホンダ車でも会社が潰れるかもしれないところまで大論争になった。
宗一郎さんの秘蔵っ子で、後に3代目社長になった久米是志さんが出社拒否するほどだった。
CVCCエンジンの成功でアメリカと勝負出来ると意気込んだら、部下に「我々は会社ではなく、社会のためにやっている」と言われた。
初代シビックやシティターボは運転してとても楽しい、ワクワクするクルマだった。