ホンダRC71の歴史と1960年シンガポールでの活躍を振り返る
このマシンは、浅間火山レースに出場した「C71Z」を基にした発展プロトモデルであり、ホンダのレーシング技術の進化を象徴しています。
RC71は、1960年のシンガポールや東南アジアのレースで活躍し、その名は特に注目されました。
ホンダ車の「RC」という頭文字は、現在では特別なファクトリーマシンに使われていますが、RC71は市販のレース車両としてクラブマンと呼ばれるグループに展示されています。
エンジンは市販車「SC71」をベースにしながらも、車体はマン島TT用ファクトリーマシン「RC142」に近い設計となっており、ホンダがマン島TT参戦に向けて開発を進めていたことを示しています。
参考リンクhttps://news.yahoo.co.jp/articles/8accb7ce79f0cec8b3c6c98b8610688d9b29a5ee
コメントでは、1960年代のホンダRC71が職人の手によって作られたことに驚きの声が多く寄せられました。
特に、当時はコンピューター制御の加工機械や小型ルーターが存在せず、全てが職人の技術によるものであったことに感銘を受けた方が多かったようです。
また、ライダーたちが着用していた皮ツナギや半ヘルメットについても、当時の安全基準の低さを指摘しつつ、日本のメーカーとレーサーが世界GPに挑戦したことを称賛する意見がありました。
さらに、ホンダの歴史が他のメーカーとは異質であり、将来的にジェット機にまで発展するとは想像もできなかったという意見もありました。
黎明期の競技用車両は、ノウハウ不足からギリギリの設計であったため、メカニックたちの苦労も伺えました。
RC71の性能については、4ストローク2気筒250CCで180km/h以上の速度が出せることに驚きつつも、現代のレーサーと比べると貧弱であるとの意見もありました。
エンジンのデザインが後の市販車に受け継がれている点や、フロントサスペンションの形式についての疑問も寄せられ、1960年代の技術に対する興味が感じられました。
ネットコメントを一部抜粋
1960代。
コンピューター制御の加工機械は無かったですよね。
ライダーもペラペラの皮ツナギに圧縮した紙のシェルの半ヘルとゴーグル。
ホンダの流れは異質に感じる。
黎明期の競技用車にギリッギリに余裕なんか無いツクリな訳で。
エンジンの外観、特に腰から上は、その後の市販車CB71~72がそっくり受け継いだかの様ですね。